支援のかたち・・・
学生の頃、母や先生に注意や指摘・助言をされる事が大嫌いでした。
それは社会人になっても大きく変わる事はありません(本日現在)
これが「人格」というものなのかも知れません。
「宿題は終わったの?!」
「明日の準備は?!」
「お前の姉は出来たのに…」
この様な声掛けをうんざりしながら「聞いたふり」をしていました。
今となっては、あの時に受けた注意や指摘・助言を聞いていれば
今とは違った人生を歩んでいたのかな?
あの時の声掛けは「愛情の裏返し」であったのかな?
人生の先輩の言葉を素直に聞いていればよかったな。
近頃その様な事を考えるサービス管理責任者の小林です。
私は現在3名のご利用者様を担当させて頂いています。
関係性を深めるため、作業時や面談時間・休憩中の雑談などで
少しでも多くの時間、会話をしようと心掛けています。
しかし・・・
休憩中、一緒にたばこを吸いながら、ある指摘事項をお伝えした際に
「はあい・・・」と心無いように感じる返答を頂きました。
「あれ⁈」
今の指摘事項を理解して頂けたのかな?
今の返答で行動に移して頂けるのかな?
今の返答でご利用者様の動機が高まったのかな?
口うるさく感じさせてしまったのかな?
ご利用者様の目線に立って発言出来ているのかな?
しまった!ラポール(信頼関係)形成も不十分であるのに!
不安と後悔の念が生じたのと同時に過去の記憶が蘇りました。
そうです!その通りです!
母や先生方から頂いた「注意」「指摘」「助言」です。
私が発した指摘事項は母や先生方からの指摘
のようになっていたのかもしれない。
そして「聞いたふり」という反応が生じたのかもしれない。
この反応が事実であれば支援と呼べるものではありません。
自論ではありますが、「支援とは伴走」であると考えます。
ランナーと同じ目標に向かって共に走り、
走路や障がい物を伝え安全に競技が行えるように援助する。
最高のパフォーマンスを引き出し、その能力を高めて頂く。
それが伴走者あり支援者であると思います。
しかしどうでしょう?
全然違う・・・
その様に感じました。
人にはそれぞれ意思や自論があります。
意思や自論を十分に確認もせず、
こちらの意見だけを伝えてしまっては
過去の自分の様に「やる気を削がれてしまう」
だけであると思います。
会話だけが意思表示ではない。
会話だけが伝達手段ではない。
会話だけがラポール形成手段ではない。
会話だけが支援ではない。
その様に感じた出来事がありましたので
写真のようなツールを作成してみました。
言語で伝えるのではなく視覚で伝える事ができるのか?
視覚情報であれば受け取り方が変わるのではないか?
効果は未知数ではありますが観察を続けてみたいと思います。
支援のかたちとは…
「トライ&エラーを重ねながら最適なかたちを見つけてゆくこと」
であると思います。
エラーが少ないに越したことはないとは思いますが…
「今月のことば」
エスプリドゥの2階休憩室・3階作業場・喫煙所に掲示
毎月5日に更新をしています。
7月は「アサーティブ」/「嫌われていい」/「課題の分離」
「人はみんな不完全」/「人と比べるのやめませんか?」です。
ご利用者様の目に留まって
興味を抱いて頂けるといいな。
その様な気持ちで更新してゆきたいと思います。
お近くに来られた際はご覧になって頂けると嬉しいです。